在来工法とツーバイ工法
2018.01.02
在来工法とは 基礎の上に 土台を敷いて その上に柱を建てて 梁(横の柱?)を載せて、2階の場合はその上に
柱を建てて又、2階の梁を載せて 屋根垂木(タルキ)を釘や金物で止めて屋根板を敷いて屋根材を乗せる方式です。
昔は 木組みで縄で縛ったりホゾとコミ栓だけで繋いだりしましたが、釘や羽子板 ボルト カスガイ タンザク
筋交い金物 タルキック ホールダウン N釘 火打ち金物 を併用します。
そして更に通し柱部分、荷重のかかる場所などに使う接続金物を流用した更に強い工法も使われるようになりました。
この接続金物はいろいろなメーカーから出されていて、殆ど全ての接続部分に使われる工法もありますがそれなりの
値段アップにもなります。 昔の在来工法は金物を使う量が少なく耐震力が不足する事が欠点でしたが
今は大幅に改良改善されて、ツーバイの耐震力と変わらない強さを持つようになりました。
ツーバイ工法とは、パネルとパネルの繫ぎ合わせでいわゆる面で持たせる工法です。
柱を使わず、細い木にベニヤを張り、細い木と細い木を釘で止めて、組たてしていく工法です。
長所としては工場加工が多く、短期間で出来上がる。工期が短い。出来上がった時の耐震力が大きい。などの
特徴がありますが1番の欠点は 増改築が難しいことです。建てられる時にはそれなりの丈夫さを 面で考えられ
設計されていますので、それを切ったり足したりする事で全体のバランスがとれなくなり地震の耐力がなくなる事です。
2つの工法の根本的な違いを簡単に説明しました。
追記:
以前の在来工法は、土台の上に柱を建てて基本四隅コーナーに筋交いを入れて、その筋交いも細く、外壁側にはラス板を貼り
ラス張り+モルタルは良い方で杉板、ラワン板板を張って、60年位前は江戸時代と大して変わらず内壁は間柱は建てずに1間巾
の場合は抜きを下 中 上 に横に入れて、細い篠竹を細釘で止めてそれに荒縄を巻き、5㎝角位だったか3センチ角だったか
位の網状の枡を竹ひごと荒縄で組み、そこに アラキダと言う相撲の土俵に使う土を振るった物に米のワラを5センチ位に刻んで
水と混ぜて練り サイトリ棒(長さ1800位の棒の先に15センチ*30センチの板が付いた物)で塗り手に突き出し、それを小手板と
金小手で挟むように受け取り、竹で編んだコマイに塗りつけたものです。それは下塗りで、裏側ににゅるりと出た土を裏から切ると
下塗りは終わり、翌日は中塗りです。中塗りは細かいアラキダと中ツタ(シュロのような繊維質)を混ぜ込み塗りました。
その上には半渇きの内に漆喰を縫って仕上げました。その漆喰作りも今ではクリーム状の缶入りですがあ(粉もあるが)
ツノマタと言う海草を建材やから買ってきてブリキの一斗缶で三又を2個作り、棒を渡して番線で一斗缶を吊り下げ薪を燃やして
煮たツノマタを木綿の布で濾して糊を作りました。その糊と石灰と白ひげ(晒した麻か?)を塗る前の日に鍬で少しづつ少しづつ
作って、1日寝かせてから(髪をかぶして養生しておく)塗ったのです。
白が基準で灰炭(松煙炭=煙突の煤を精製)、紅柄、青粉(群青)、酸化王、緑粉 などを混ぜて色を付けましたが、相当ネチネチと少しづつつぶさないと色斑がおきるのでかなりの重労働でした。
と、まあそれが江戸時代から100年間位変わらない作業でしたが、変わりにコマイとアラキダの代用品のラスボードなるものが
出来て、中塗りの変わりに石膏+砂が使われその上に漆喰で仕上げられた時代から、漆喰の代わりに繊維壁が出来て(いわゆる
綿壁)そのあと輸入クロス(本物の布をクロスと言う)が高いので、ビニールクロスが作られて今それがラスボード+石膏の上でなく
耐火ボードに直接(パテはします)貼って居るのが今の主流となっています。
と左官の昔話になりましたが、大工さんが棟梁で偉い ?とお思いでしょうが 大正時代は左官屋さんの方が格が上だったそうな。
で、本題に戻って、その今の在来工法ではツーバイフォーのパネル(構造用合板)を外壁側に全面に張り、更に強くしたいところに
筋交いも入れて(今は厚みも厚くなりしかも金物で強固に固められている)更に継ぎ手にも羽子板や短冊 カスガイ タルキ止め
ホールダウン などが使われ、更に更に 肝心な継ぎ手を 金属と金属で引っ掛けて太いピン止めも併用されているため
(完成した時は)ツーバイフォーが強く、在来工法が弱いと言う事は全くなくなりました。
そんな事で ツーバイの利点は工期が早い事を除けば それ程の特徴があるとはいえなくなって来ています。