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幼年期の思い出

2011.06.24

思い出しついでに、現代と60年前の東京の様子との比較の為に幼年期の記憶をもう少し書いてみます。
 洗濯機なるものを初めて見たのが小学校3年生の頃で、脇には手回しローラー(ハンドルが折りたたみ式)が
付いていて、洗濯したものをローラーの間を通して水を絞るものでした。確か日立製でした。
 冷蔵庫も氷を上の製氷室に1貫目入れて、下には解けた氷の水受け皿がありました。
御膳には 蝿帳なる四角い傘を逆さにしたような(水色の縁のテープに白いガーゼ)でご飯やおかずを蝿から
守っていました。
 蛍光灯はなく、裸電球でした。もちろん部屋にも、車にもエアコンなんて見たこともありませんでした。
5の付く日の縁日が楽しみの一つで、ほしい物があってもそれまでがまんの子でした。
 池袋の西口(今の東武デパートの前の東横デパート前当たり)にはトタン屋根の市場があって、
アメ横のような感じがしました。
タクシーは小型車のルノーで初乗りは60円だったかな?
西口角には蛇屋があって、ビン詰めのマムシなどを気味悪く見つめた記憶もあります。
 あそびと言えば千川で遊んだり、双子多摩川まで水浴びに連れて行ってもらったり、
田んぼでアメンボとかザリガニ釣り、めだかとり 木登り、メンコ ビー玉あそび、縄跳び
かくれんぼ、鬼ごっこ じゃんけん 戦争ごっこ 軍人将棋 なんと言ったか「けんけんぱ」とか
そんな遊びで毎日を過ごした事を覚えています。
 紙芝居、リヤカーで来るお好み焼きやサン、キセルやサン 天秤を担いだ金魚やサン(これって江戸時代と変わらない?)、自転車に乗って、スス掃除用の針金(ワイヤー)を何重かに巻いた先に黒いブラシの付いた道具を持った煙突掃除屋さん、自転車で玄米パンを売る移動パンやさんも(茶色い細長いパンで薄皮が美味しかった。餡入りと餡なしがあった)
楽しみの一つでした。あそび仲間も、親分がいて、その補佐がいて、みんなその下にくっついて行って
連携していました。小さい子は「お味噌」と呼ばれて一緒に面倒をみながら遊んでいました。
今は、小学校の高学年が低学年の面倒を見ながら、一緒に遊ぶなんて なかなかないでしょうね?